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CEO シュリダー・ベンブについて

社員8,000名を超えてもなお非上場を貫く、知られざる気鋭のインド人起業家

ZOHO CorporationのCEOであるSridhar Vembu(シュリダー・ベンブ)は、南インド出身の起業家です。上場をあえて目指さず、外部投資や借入を一切受けずに、社員数8,000名以上、全世界180カ国以上に製品・サービスを展開する企業を育て上げました。 ソフトウェアという形で、ものづくりを通じたお客さまや社会への価値創造に情熱を注ぎ続けています。

日本との縁も深く、その経営スタイルは「シリコンバレー流の経営に精通したインド人が繰り広げる日本的経営」とも評されています

参考:日本の過疎地の高校生たちに仕事を 日本的経営で急成長するインド企業

生い立ち

シュリダー・ベンブは、1968年に南インドのタミル・ナードゥ州で生まれ、21年間をインドで過ごしました。両親ともに大学へは進学しておらず、家庭環境も裕福ではありませんでした。

シュリダーは、より良い人生を求めて当時の状況から抜け出そうという強い想いを持ち、勉学を重ね、奨学金を得て高校を卒業し、インドの名門大学IIT(インド工科大学)マドラス校に進学します。その後、さらに奨学金を得てアメリカのプリンストン大学に進学し、博士号を取得しました。

貧困への問題意識、「トーキョー」と呼ばれた子供時代

シュリダーは子供の頃から様々なことに関心を持っていましたが、大きな問いが頭の中にずっとありました。それは、なぜ貧困が存在するのか、なぜインドは貧しい国であるのかということでした。

国がどうやって発展していくのかということにも興味を持ち、本を通じて日本に関心を持つようになります。シュリダーが子供時代を過ごした1970年代から80年代においては、インドでも日本という国が注目されていました。アジアの国の中で初めて工業化を成し遂げて発展したことに強い関心を抱き、シュリダーは友人たちにも繰り返し日本の話をします。あまりにも日本の話ばかりするので、「トーキョー」というあだ名をつけられてしまうほどでした。

大学卒業後の虚無感

シュリダーは、大学を卒業した後、研究者の道を志しました。インド工科大学の卒業後、研究活動や論文執筆をさらに進めるためプリンストン大学に進学しました。そこでは情報通信に関する数学理論について研究しました。

学問的には高度な活動を続けながらも、数式や証明ばかりの研究に現実世界との隔たりを感じ、だんだんと疑問を持ち始めます。特に大きかったのはアメリカからインドに帰省した時の経験でした。

アメリカでの豊かな生活とインドでの貧困の現実との間の激しい落差を目の当たりにし、精神的に落ち込みました。シュリダーは、自分が今までやってきたことは意味があるのだろうか、目的がなく無駄なことだったのではないかと虚無感を感じるようになります。

当時は事業に関心があったわけでもなく、社会のために何かしたいという強い想いがあったわけでもなく、人生の意味や目的を見失ってしまいました。それが23-24歳の頃でした。

ビジネス界への転身、強まる故郷への想い

何をすべきかは見えていない中で、シュリダーは、学術研究の道に進むのをやめる決断をします。そして、ビジネスの世界に進みました。当時は前向きな気持ちや目的があったわけではなく、何をすべきか明確に分かってもいませんでした。とりあえずやってみよう、何か違うことをやってみようと、試すような気持ちで方向転換しました。

その後、サンディエゴにあるクアルコム社に入社しました。クアルコム社でエンジニアの仕事に携わる中で、ソフトウェアに興味を持つようになります。そうした中、シュリダーの弟もクアルコムに入社してきました。一緒に時間を過ごす中で、2人が生まれ育った国であるインドについて何度も議論を重ねました。

自分たちがこれまでに得たスキルや経験をもとにインドに対して何かできないかという想いが強まり、2人は会社を辞めます。弟はインドに戻ってソフトウェアの開発を行い、シュリダーはアメリカでセールスマンの役割を果たすことになりました。

シュリダーは、ビジネスを始めるため、当時住んでいたサンディエゴからシリコンバレーへと旅立ちました。持ち物をすべて車に詰め込んで、600km離れた土地まで、車の中で寝起きしながらドライブしました。

人生で初めての挫折

当然ながら、最初はオフィスも何もない状態でした。安く借りられるアパートを探し、いろんな人に会いどうすべきか考えていたのですが、考えはまとまりませんでした。

当初はプログラムを書いて製品を開発しようとしましたが、うまくいきません。次第に資金が底をついてしまいます。貯金を使い果たしてしまい、4-5カ月すると家賃も払えなくなってしまいました。

それは、勉学を重ねて優秀な成績をとり、名門大学を卒業し、奨学金を得てアメリカに留学して仕事も得ていたシュリダーにとっては、人生で初めての大きな挫折でした。とにもかくにも食べていくために仕事を探し、契約のプログラマーの仕事に就きました。

大学の先輩からの電話

そんな中、大学ので先輩であるトニー・トーマスからの電話がきました。トニーはAT & T社のベル研究所で働いた後、そこを辞めてネットワーク関連のソフトウェアを開発していました。

トニーから、ソフトウェアの開発を手伝える人を紹介してほしいと頼まれ、シュリダーは彼の弟を紹介しました。そのソフトウェアの開発はうまくいきました。そしてトニーからまた電話がありました。

今度は、ソフトウェアの営業担当として誰かいい人を推薦してくれないかという依頼でした。その時がシュリダーにとっての大きな転機となりました。シュリダーは、「それなら自分が営業します」と答え、セールスマンになりました。

ちょうど契約の仕事が終わったタイミングで、オフィス・デポという文具のお店に行き、名刺を印刷しました。マーケティング&ビジネス開発担当副社長という肩書きを自分でつけてソフトウェアの販売を始めました。

会社の設立と成長

このソフトウェアの開発と販売のプロジェクトが、現在のZOHO Corporationの原型となりました。シュリダーは、営業を続ける中で、ビジョンやストーリーを語ることに自分が長けているということに気づきます。

その強みを活かし、ソフトウェアの販売も順調に進み、売上も上がり始めました。ソフトウェアの販売を始めたのは1996年頃でしたが、1998年に会社として登記をしました。

同じ年にラスベガスで開催された展示会に出展し、小さなブースを出しました。そこで日本の会社との商談が進み、ソフトウェアのOEM提供やパートナーシップの契約にまでつながりました。創業当初の売上の大きな割合を日本の企業が占めており、シュリダーは日本との不思議な縁を感じました。

その後、シュリダーとZOHO Corporationは、ドットコムバブルの崩壊やリーマンショックを始めとする様々な危機や課題を乗り越えながら、ビジョンを掲げ、時流の変化に対応しながら急速に成長していきます。事業領域や製品群の幅は大きく広がり、今では大企業とグローバルに競い合えるまでの製品・サービスを展開しています。企業経営の中で、シュリダーは独自の経営哲学を築き上げてきました。

ホンダの本田宗一郎氏やソニーの盛田昭夫氏を始めとする日本の経営者の影響を大きく受けながら、IT業界の時流、シリコンバレーのスピード感や柔軟性、禅仏教やヒンドゥー教のマインドを融合させて、事業運営だけではなく思想哲学の面でもリーダーシップを発揮しています。

以下では彼の哲学をいくつか紹介します。

シュリダーの哲学
自分たちの文化を保つ

創業以来、外部投資や借入は受けずに自己資本のみで成長を続けています。これは、投資を受けると株主の利益がより優先されてしまい、長期的に企業文化を保つことやお客様への価値創造が難しくなるためです。投資や買収の提案はたくさんいただきますが、これからも自己資本で成長することを志向しています。

お客様も社員も大切に

お客様がいなければ企業は存続できません。私たちも当社のソフトウェアを利用いただくお客様のことを第一に考えています。お客様と同様に、社員も大切にしています。それぞれの分野で社員がよりよい仕事を日々追求できるように努めています。

研究開発を優先

大手IT企業に比べ、セールスやマーケティングより研究開発(R&D)への投資比率が高いです。インド本社の社員のほとんどはエンジニアです。研究開発に継続して投資することにより、長期的にはお客様のメリットにつながると考えています。

オープンでゆとりある環境

社員が成果を高めるために、会社はオープンでゆとりのある環境を整えるようにしています。例えば、上下関係や縦割りの弊害が少ないフラットな関係性、広大な仕事スペースを準備すること、時間的・精神的なゆとりをもってもらうこと等です。

主体的で長期的な学び

オープンでゆとりのある文化のもと、社員はそれぞれが取り組んでいることを主体的に長期的に学んでいきます。本当の学びは教室の授業だけで教えることはできません。「実践を通した学習」が不可欠です。時間がかかるかもしれませんが、それぞれの担当領域での実践を通じた、長期的な学びの蓄積を大切にしています。

禅的で科学的な観察

何かを学んだり活動を行う上では、まずは対象をあるがままに「観察」することが重要です。これは精神的には禅的な態度と言ってもよいでしょう。現象理解という意味では科学的とも表現できます。既存の枠組みにとらわれずに思考する精神を大切にしています。

職人のように洗練

観察から気づきを得た後、実践に進みます。その過程においては試行錯誤を繰り返し、さらに良いものを追い求めます。最終的な成果の中には数値で測れないものもあります。そういった美的な観点も大事にしていくため、「洗練」という表現を用いています(数値で測れるような「改善」ではなく)。開発・マーケティング・販売など、さまざまな面でクラフトマンシップを発揮することにより、ソフトウェアというクラフトを洗練しています。

洗練しつづける旅を楽しむ

職人である社員たちはものづくりを日々実践していますが、その実践の過程自体も目的になり得ると考えています(『禅とオートバイ修理技術』という本の主人公のように)。目的地に着くことだけが喜びであれば、そこに至るまでの道のりは虚しいものになってしまいますが、決してそれだけではないでしょう。私たちは、継続的に洗練していくという人生の大きな旅自体を楽しもうとしています。

(2020年8月4日更新)

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